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自分の存在価値を見失うとき

この数年、自分自身の存在価値が???になっていて、

これからの「生きる」をどうしていったものかと、彷徨い続けています。


 

6月からご支援させて頂いている、某企業さん。

 

「さぁ、明後日の出張に備えて」

と、諸々の準備を進めていたところ、突然、ご担当者から

「この活動は暫くの間、延期します」

とのご連絡。

 

「・・・がーーーーん・・・」

 

どんな経緯と理由でそのような結論に至っのかは知らされていないのですが、

直前になって中止(表現は延期ですが)するなんて、

よほどのことであろうと。。。

 

「あぁ、きっと前回のご支援が原因だろうな」

というのは、容易に想像がつくことで、一気に気分は急下降しているなう。

 

私的には持てる力を出し切って最善を尽くしたつもりであったのですが、

だからこそ尚、落ち込み度がかなり激しく。。。

 

もう過ぎてしまったことである上に、理由も原因も聞かされていないので、

あれこれ考えてもどうにもならないことでもあることはわかっているものの、

「何がいけなかったのか?」

「何が原因だったのか?」

「他に何ができたのか?」

などと、考えて堂々巡りを繰り返してしまう自分がいる。


 

世界中がコロナ禍に陥って多くの産業がその影響を受けた時、

私の事業も例外ではなく、仕事のやり方や方法のシフトを余儀なくされ、

人と直接会うことが減ったことで仕事が激減しました。

 

そういう外部環境の変化によって自分の仕事と働き方を見直さざるを得なくなったけど、

その頃、私はちょうど50歳代後半で、

60歳という節目の年を目前に控えていた時期でもあり、

その「還暦」という歳を境にして、

「これからの残りの人生をどう生きて行きたいのか」

という問いと向き合うことになりました。

 

その時から約4年。。。実は、、、

今でも私はその問いの答えを見いだせずに、彷徨い続けています。

 

20歳で社会に出るとき(1985年)に

「これからはコンピュータの時代だ!」と、

ソフトウェア開発(プログラミング)の世界に飛び込み、

そこで年末調整のプログラム開発をしたことをきっかけに、

「システムエンジニア(SE)っていうのは、

こんな専門知識をも身に着けることができるんだ!」ってことに感動して、

「SEになりたい」って思った。

 

でもその当時の日本では、短大フランス語科卒の女子なんていうのは、

全く会社の戦力としては扱ってもらえず、名刺すら作って貰えなかった。

その時の悔しさは、今でも忘れられない。

 

だからこそ「絶対にSEになってやる!」って思いだけで、突っ走って、

2002年にようやくシステム開発の上流工程(要件定義、基本設計)を

担えるようにまでになったけど、

それだけでは何も自分の意志では実現できないことをまざまざと思い知らされた。

だからさらなる上流工程の世界を知りたくてコンサルタントを目指した。



 


男女の双子(息子には先天性の障害がある)の出産、育児、

難病(パーキンソン病)母親の介護、をこなしながらフルタイムで働き続け、

2013年にコンサルタントとして独立創業した。

とにかく必死でなりふり構わず走り続けてきた。

 

義母を見送り、母を見送り、二人の子供たちは独立して巣立っていって、

。。。そしてやって来たコロナ禍。

仕事のスタイルは激変し、仕事も激減して、

自分自身のこれからと向き合うときがやってきたとき、

「これからの残りの人生をどう生きて行きたいのか」

と向き合うことになった。

以来、それを問い続け、未だに彷徨い続けている。

 

「私にはいったい、残り時間をどう使えるのか?」

「私にはいったい、どんな貢献ができるのだろうか?」

「私にはいったい、どんな存在価値があるのだろうか?」

「私にはいったい、どんな何が自分の価値を活かせるのか?」

「私だからこそできることって、何だろう?」

「何が私にはできるのだろう?」

 

そして思う。。。

 

「私はいったい、何者なのか。。。?」

 

まだ、答えにたどり着けず、彷徨い続けている。。。




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