誰もが自分の会社や組織を良くしたいと思っている
Anneyです。
組織開発というものを生業にしています。
誰もが自分の会社や組織を良くしたいと思って働いています。
誰もが自分が今いる場所を自慢でき場所、誇れる場所にしたいと思って生きてます。
誰もが自分の人生を良くしたいと思っているし、幸せに生きたいと思っています。
誰も悪い環境で働きたいと思っている人なんていない。
ましてや自分が働いている場所である会社や組織を、わざと悪くしてやろうって思っている人なんかいないんじゃないかな。
それなのになんでだかこんなにも自分とこの職場や会社や組織の悪口で溢れてんだか。
職場や会社から一歩出たとこで、上司や職場の愚痴を言い、悪口を言い合ってんのか。
・・・という私自身もかつてはずっとそうでした。
勤務時間が終わって飲みに行けば、そこにいない人の噂話(ま、いわゆる悪口w)は上司の愚痴を延々言い合う。
いや、たとえ勤務時間中であったとて、お昼休みとか、休憩時間とか、給湯室でお茶をいれながらとか、愚痴、噂話、悪口、愚痴、噂話、悪口...をルーチンのように繰り返す日々を送っていたな。
人間がつくり出す社会というのは不思議なもので、そのような会話を毎日していると、本当に職場や組織はその会話のような組織になって行くのです。
人々が 「うちの会社って失敗できない怖い会社だよね」と語り合えば、失敗できない怖い風土の組織になる。
人々が 「うちの会社って使えない上司ばっかだよね」と語り合えば、使えない上司で溢れる風土の組織になる。 人々が 「うちの会社の若い社員は仕事ができない」と語り合えば、若い社員は仕事ができな人ばかりになる。
あれれ?
そんな嫌な職場にしたいんだっけ?
そんなダメな会社、そんな悪い組織にしたいんだっけ?
本当は誰もが自分の職場や組織、会社をよくしたいと思っているのに。
本当は誰もが自分がいる場所を、自慢できる場所、誇れるところにしたいと思っているのに。
本当は誰もが自分の人生を良くしたいと思っているし、幸せに生きたいと思っているのに。
でも、その思いを口に出して表現したり、ましてやそこかしこで語り合うなんてこと、殆どないんじゃないかな?
文句や愚痴や不平や不満は、山のように毎日、毎日、そこかしこで語り合えるのにね。
なんでだろう???
1つ目の理由は、私たち人間がこれまで生き抜くために、問題点や欠けているところに気づくことが必要だったから、と脳科学研究では言われています。
問題点や欠けている点に気づく力というのは、いわば危機的な状況や状態にあることを察知する力です。
私たち人間は命を守るためには、とにかく危機をいち早く察知することが必要だった。
それが私たちひとり1人のDNAに深く刻まれているので、故に意識しなければ私たちはどうしても問題点や、ダメなところにまずは焦点が行ってしまうことらしい。
つまりひとり1人が心の奥底にもっている本当の願いや思い
「よい職場にしよう、自慢できる組織をつくろう、誇れる会社を残そう」
というポジティブで建設的な世界は、意識して言葉にする、話題にして会話する、ということをしないと表出しないものなんです。
2つ目は、問題点やダメなところを語るのは、過去に起こったことを題材にするので語りやすいし、同じ絵を互いにイメージしやすい。
でも、よい職場にしようとか、自慢できる組織をつくろう、ということを語るのは、まだ見ぬ未来のことなので、同じ絵をイメージすることがしずらく、何のことを言っているのかがお互いにわかり合いにくい、ということなのでしょう。
付け加えていうと、まだ起こっていない事実じゃないことを語ると、
「そんな青臭いこと言って、って思われないかな」とか、「何、理想や夢を語ってんだよ、って言われそう」とかいう、心理的な抵抗も大いにあるのでしょうね。
じゃ、思いを分かち合うにはどうすればいいのか?
そういう会話をすることが日常で当たり前になるまでは、
1.意識的にそれを語る「場」と「機会」を設けること
2.組織の中の人々の日常で語れる言葉の変化を観察し、評価すること
3.そういう会話が日常で当たり前に交わされるまでやり続けること
それが、組織の風土を耕すということ。
途中で水をあげるのをやめたり、肥料を与えるのをやめたりしたら、ダメなの。
人々の言葉が変わるまで、やり続けること。
絶対に組織の中の人々が語る言葉は変わるのだから。
だって、みんなが強く思っているんだから。
みんな心の底で強く願っているのだから。
自分の職場や組織をよくしたい、
自分がいる場所や会社を自慢できる場所にしたい、って。